運営堂ブログ

運営堂のマーケティング活動を整理したら、仕事が来る仕組みが見えてきた

自分がやっていることを人に説明しようとして、うまく言えなかったことってありますよね?

私の場合、他人のビジネスは簡単に説明できたりするんですが、自分のこととなるといろんなことを考えてしまってなかなか整理できないです。世の中は私のことを知らいない人だらけですし、それではいかんということで、いろいろ整理しようと思ったわけです。

きっかけは、青木耕平さんの『起業芸術論』を読んだこと。この本については別で書いたんですが、そのときに「ちょっとずつやってみます」と言っていた(言ってしまった)ので、実際にやってみたという話です。

起業芸術論の文中では、芸術の成立要件を図で順番に表しています。6枚を順に並べると思考が進んでいくのが見えるんですよね。

  1. 対象を2つに割る
  2. その2つが重なるところに本命を置く
  3. 引いて、広い世界のどこにいるか見る
  4. 本物と模倣を分ける分岐点を決める
  5. 成立要件を並べる
  6. それを支えているものを下に敷く

とりあえず、この手順でAIと壁打ちしながら自分の活動を整理してみました。小難しいことが書いてある部分はAIが言っていて、私は「なるほど」と納得したり、「それってこうだよね?」聞いた結果です。

ちなみに、青木さんの通りにできるわけでもないので、あくまで整理のフレームワークという感じです。

第1部 何をやっているのか

全部書き出した

分類する前に自分がやっていることをブレスト的に全部出しました。

  • 毎日堂(平日毎朝の配信)
  • 週次のまとめ
  • マーケティングラジオの本編と日曜版
  • ポッドキャストの記事版
  • 運営堂ブログ、note
  • X、Facebook、Instagram、Threads、TikTok
  • セミナー・登壇
  • 寄稿・執筆
  • 他社メディアへのゲスト出演や取材
  • 勉強会やセミナーへの参加、人に会いに行くこと
  • 日々の情報収集、本を読む、ツールやAIを試す
  • 問い合わせや相談への返信
  • コミュニティや勉強会の運営

このときに、支援やサポートといった実務系は含めないことにしました。仕事は仕事ですからね。

2つに割ってみる

書き出したら、次は1手目の「割る」です。

なぜ割るところから始まるかというと、いきなり要素を並べても、それが何の話なのかが決まらないからですね。芸術の図もまず精神性と身体性という2つに割ってから、その重なりに芸術を置いていました。対立していて、どちらも欠かせない2つを見つけると、話の芯が決まる。

出てきたのが、「集める」と「出す」という分け方ですが、うまくいきませんでした。集める側が厚すぎて、出す側がその出力にしか見えないんですよね。対立している2つではなく、上下関係になってしまう。

集めるをほぐす

なぜ厚いのかを見るために、集めるほうを細かく分けました。

  • 決めて追う(毎日堂のためのネタ集め、公式リリース、統計、数字の変化)
  • 出向いて聞く(勉強会やセミナーへの参加、人に会いに行く)
  • 目につく・聞こえてくる(街の広告、店の様子、業界外の人の話、客としての体験)
  • 向こうから来る(相談や質問、読者からの反応や指摘、売り込みや営業メール)
  • 自分の中から出る(過去の記事を読み返して気づく、書いていて調べないと書けないと気づく)
  • 実務から得る(クライアントワーク全般)

並べてみて分かったのは、これは活動の種類ではなくて経路だということでした。家族との会話も入るし、買い物をしていて気づくこともある。24時間ぜんぶ集めているような状態なんですよね。

集めていない時間

集めていない時間もあります。散歩とか移動中とか、風呂とか寝る前とか。新しく入ってこないけれど、入れたものが勝手に結びつく時間です。

これについては昔に記事を書いていて、外山滋比古さんの三上(さんじょう)の話です。駅から遠い場所に自転車を置いて5分歩く書いたように、何かをひらめくのはたいていその5分なんですよね。休もうと思って休むとタスク処理モードになるので、自然にぼんやりする環境のほうを作っておく、ということです。

あいだに加工の工程があった

集めていない時間の話から、集めると出すのあいだに何かがあることが見えてきました。

決定的だったのが、人に話すことの位置づけです。ミーティングで話しているのは出す側に見えるんですが、話してみるとどこが伝わらないかが分かるので、話し終わったあとには話す前より整理されたものが残っているんですよね。登壇でも同じで、ここが分からないらしいと分かれば、次回そこを直すし、それを解決する記事にもなる。

整理するとこうなりました。

  • 寝かせる(触らないでおくと結びつく。意識すると壊れる)
  • 選別する(何を捨てるかを決める)
  • 形を変える・並べ替える(毎日堂も、まとめも、記事も、登壇も、出すときは常にこれ)
  • 確かめる(人に話す、実際にやってみる、数字や一次情報で裏を取る)
  • 溜めておく(書いたけど出さない、出す直前でやめる、時期を待つ)

集めることに重きを置いているつもりでいたんですが、正確には集めたあとの扱い=加工に手間をかけていたということでした。ただ集めるだけならこんな工程は要らないので。

出すほうもほぐす

集めるをほぐしたので、出す方もほぐしてみました。

  • 決まった枠で出す(毎日堂、週次まとめ、ラジオ本編、日曜版、文字版)
  • 気ままに出す(ブログ、note、SNS)
  • 呼ばれて出る(セミナー・登壇、寄稿、取材、人と会って口頭で伝えること)
  • 交わる(コミュニティや勉強会の運営、紹介や口コミが生まれるやりとり)
  • 整え直す(過去のものを直す、まとめる、置き場所を作る)

最後の整え直すは、AIに言われるまで活動として数えていませんでした。新しく作るわけではないですから。ただ、発信することで知ってもらえるし、こんなことができそうだと思ってもらえるので、これもマーケティング活動だと認識しました。

【図1:集める → 加工する → 出す】

外したはずのものが戻ってきた

「全部書き出した」のところで実務は含まないと書いたんですが、話を進めるとあちこちに顔を出すんですよね。実務で分かったことが集める側に入っているし、実際にやってみて確かめるのは加工の工程だし、現場で話していることは出す側でもある。

実務は活動と並ぶものではなくて、活動の場でもあり、検証の場であり、発見の場でもある。結果を出すのは前提として、実務を実務だけにしてしまうと時間がもったいないんですよね。

逆に言うと、実務をやっていない人が集めても、加工にはならないんだと思います。何が重要かの判断が実務から来ているので、集めるところだけを切り離すと、拾うものが変わってしまう。実務と集めると加工するは、同じ人の中にないと繋がらないという感じです。

【図2:実務を下に敷いた循環】

ここまでが材料集めです。やっていることは全部出たので、次はこれが何なのかを決めていきます。1手目の割るところからですね。

第2部 それが何なのか

ここからがフレームワークの本番です。1手目の「割る」に戻ります。

第1部で一度やって失敗しているんですが、原因は割る対象のほうにありました。活動を振り分けようとしたので、作業の分類にしかならなかった。芸術の図が割った精神性と身体性は、作業ではなく性質なんですよね。

なので対象を変えてやり直します。

割る

割る対象は、外から見たときに何がそこにあるか、です。何をやっているかを言おうとして、結局何をやっているのか分かりづらくなっていたので、運営堂がやっていることを外から見た状態で、言い切ることにしました。

いつでもそこにある——止まっていないこと、毎朝あること、構えずに読めること。積み上がるだけで減らないんですが、止まった瞬間から目減りします。

中身が信用できる——実務を通っていること、広告に寄らないこと、売り込まないこと。一回ごとに確かめられる性質で、崩れるときは一回で崩れます。

【図3:2つに割ったところ】

この2つは対立していて、どちらも欠かせません。毎日存在したとしても信用できなければ読まれないし、信用できても年に数回では思い出してもらえない。片方は積み上がって、片方は積み上がらない。性質が正反対なんですよね。

重ねる

この2つが重なるところに何を置くか考えていて、実際に言われる言葉を思い出しました。

「いつも読んでます」

これって内容の評価ではないんですよね。どの記事がよかったとか、あの分析が役に立ったではなくて、読み続けているという事実だけを伝えている。町中華などである「いつも食べてます」と言うのと同じかなと。

【図4:重なりに置いた状態】

ニュースレターもポッドキャストもブログも、同じように言われます。外からは一つのものとして見られていて、入口が複数あるという状態ですね。

分岐点

芸術の図では、過去の文脈をそのままなぞれば模倣、コンセプトで分岐させれば芸術、となっていました。同じ場所に立って、何が分けているのかという話ですね。

情報でいうとこうなります。

同じところに情報は流れてきます。公式リリースも、ニュースも、SNSも、誰が見ても同じものが見える。それをそのまま流せば要約です。速いし網羅的だしそれで足りる場面も多い。

実務と経験と生活を通して選べば毎日堂になります。実務でやってみて効かないと分かったこと、過去に何度も見てきたパターン、街や買い物で気づいたこと。これを通すと、同じ情報でも扱いが変わる。載せないという判断も出てきます。

【図5:分岐点】

引く

ここまでで、うちが何をやっているかは出ました。次は引いて、周りに何があるかを見ます。

情報を得る手段としては、一次情報、メディア、SNS、セミナーや書籍、と並びます。ここに最近入ってきたのがAIです。

AIだけは性質が違って、情報源ではなく集めて選ぶ工程そのものの代わりになっています。人によっては200以上のサイトのRSSを巡回させて自分の興味で絞って要約させる、というところまでやってます。

自分が思うところを並べるとこうなります。

AIが優位なところ

  • 量。何百サイトでも同じコストで回せる
  • 速さ。巡回から要約まで自動で終わる
  • 言語。海外サイトも日本語で読める
  • 個別最適。読む人ごとに違うものが出る
  • 形式。音声化も長さの調整もできる
  • コスト。組んでしまえばほぼ無料
  • 深掘り。その場で聞き返せる

毎日堂が優位なところ

  • 関心の外側が入る。AI側は登録先と興味の重みづけで二重に絞られるので、既知の範囲しか来ない
  • 捨てる判断。網羅ではなく、読まなくていいものを外している
  • 生活由来の経路。街の広告や買い物や日々の会話から気づくことがある
  • ログインの内側。読みに行ける場所が違う
  • 実務の裏づけ。何が重要かの判断が、実際にやってみた経験から来ている
  • 導入が要らない。登録すれば届く
  • 過去の知識や経験が入る

24時間以内の更新検知とか、長期の情報の関連付けあたりは、そのうちAIでもできるようになると思います。ただ、関心の外側が入ってくるかどうかは性能の問題ではないんですよね。使う人が範囲を決めている限り、外側は構造的に入りません。

こうして並べると、優位も不利も、範囲を誰が決めているかという一点から出ているのが分かります。前の項の分岐点の、別の言い方ですね。AIはチェーン店で「安く・早く・たくさん」、こちらは町中華なの「そこそこの料金・ほどほどに早い・それなりの量」なので、勝とうとする相手ではないです。関心の外から入ってきたものをAIで深掘りする、という使い方もできますし、両方使ってもらえばいいと思っています。

成立要件

芸術の図では、作品性(コンセプト・コンテクスト)と継続性(収益性・拡張性)の4つが並んでいました。当てはめるとこうなります。

コンセプト(動機・問題意識) 取りこぼしを拾う保険です。トレンドを追いかけるのではなく、見落としをなくすほうに寄せている。週次まとめのジャンルをセキュリティ・最新情報・大きな変化・すぐできそうなこと、の4つにしているのも同じ考え方です。

コンテクスト(どの文脈に接続したか) 2013年から3000回超。毎日出し続けていること自体が文脈になっています。過去の自分に接続し続けているので、昔書いたものが今の話とつながる。

収益性(資金循環が止まらないか) サポートメンバー制です。広告を入れないので読者のほうだけを見ていられるし、それが読まれる理由にもなっている。中立性と収益が同じところで成り立っています。

拡張性(学びが生まれ続けるか) 実務が検証と発見の場になっていること。集めたものを実務で試して、その結果がまた知見になる。同じところを回っているようで一段上がる、という形ですね。

支えているもの

芸術の図では、要件の下に徳(ポリシーとプレゼンス)と支持体(ステークホルダー)が敷かれていました。

徳は、広告を入れないこと、売り込まないことです。やっていないことなので活動には数えていませんでしたが、信頼の柱になっている。とAIに言われて気づきました。

面白いのは、これが全体にかかっているわけではないところです。集めるのも加工するのも自由にやっていて、制約がかかるのは他人の目に触れる部分だけ。出すところと、その結果として認知や信頼になるところですね。中立性が問われるのは発信の側だけで、実務は普通に商売としてやっています(もちろん誠実に)。

【図6:徳がかかる範囲】

支持体は、読者と実務のクライアントです。

芸術の図では一番下に敷かれていて、ステークホルダーと書かれていました。作品は作家だけでは成立しなくて、それを支える人がいて初めて成り立つ、という話ですね。

読者のほうは、サポートメンバーの購読料で続けられています。原資という言い方もできるんですが、感覚としては応援してもらっているという感じですね。広告を入れない形にできているのも、ここが成り立っているからです。数が増えるほど自由になるという関係でもないんですが、続けられるかどうかはここで決まります。

クライアントのほうは、お金の面だけではありません。実務が検証と発見の場だという話をしましたが、その場を用意してくれているのがクライアントなんですよね。実際に困っていて、結果が求められて、うまくいったかどうかが分かる。自分ひとりで試していても、この確かさは出ません。何が重要かの判断が実務から来ている、と何度か書きましたが、その実務は誰かの仕事なので、こちらが勝手に作れるものではない。

つまり、読む人と頼む人がいないと、集めるも加工するも出すも成り立ちません。24時間集めていると書きましたが、そのうちのかなりの部分は、人から来ているものです。

ここまでをまとめると、こういう形になります。

【図7:成立要件と、それを支えているもの】

第3部 仕事はどこから来ているか

ここが運営堂式の肝の部分かなと思っています。

発信をがんばると、新しく知ってくれる人が増えて、そこから問い合わせが来る。マーケティングの説明としては、だいたいこの形ですよね。

うちは違います。実際に来た依頼を一件、後ろから辿ってみます。

依頼のメールが届く

ある日、久しぶりの人からメールが来ます。サイトの数字がおかしいので見てほしい、という内容です。

なぜ、この人は連絡をしたのか

もともと知り合いだったからです。

数年前にどこかの勉強会か懇親会で会っていて、その後も何度か顔を合わせている。一緒に飲んだことがある。など、連絡をくれる人は、だいたい前から知っている人なんですよね。

発信を見て初めて運営堂を知った人から、そのまま依頼が来る、というのはほとんどありません。紹介の場合も同じで、紹介してくれるのは既に知っている人です。名古屋のフリーランスのおっさんで「運営堂」と言われても怪しいだけですから(笑)。

なぜ今だったのか

困ったからですね。

ただ、困ったときに誰に相談するかは決まっていません。

そこで思い出してもらう必要があります。うちの場合、そのきっかけが毎日堂やSNSやポッドキャストになっている。毎朝メールが届いて、水曜と日曜に音声があって、SNSにも何か書いてある。読んでいなくても、届いていること自体は目に入りますよね。

ブログだけだと見に来てもらわないと接点がありません。記事は残っていますが、残っていることと届いていることは別なんですよね。メールや配信の形にしてあると、読まれなくても届く。思い出してもらうためには、こちらから押していく形が要ります。

知っているだけでは連絡は来ません。思い出してもらって初めて連絡が来ます。

思い出してもらうときには、名前だけでは足りません。サイトの数字がおかしい、と思ったときに出てくる必要があるので、何をやっている人かと結びついていないと連絡は来ないんですよね。

なので、実務の話を出しているかどうかが効いてくるわけです。

つまり、発信は何をしているのか

既に知っている人にとって、うちの発信は思い出すための装置になっています。

依頼の入口を作っているわけではないんですよね。導線を作らなくてもつながる、みたいなことを言うことがあるんですが、導線が要らないという意味ではありません。既にある関係の上に、接点が毎日乗っているというだけです。

しかも今は、新しく見つけてもらうほうがどんどん難しくなっています。コンテンツが氾濫しているので、いいものを出したから見つかる、という時代ではないんですよね。そうなると、既に知ってくれている人との接点のほうが効いてきます。

では、なぜ知っていたのか

ここでもう一段さかのぼります。思い出してもらう相手は、既に知っている人です。ではその人は、どこで知ったのか。

会ったか、発信を見たか、どちらかですね。

会いに行くほうは、懇親会や交流会のあるセミナーに参加して、名刺交換をして、二次会があれば行って、後日そちらに行く用事があるといって食事に誘う。そこでまた新しい人と知り合う。以下、同じことの繰り返しです。以前記事に書いた方法で、独立したころにかなりやっていましたし、今も続けています。

このときの注意点として、仕事が欲しいとか何か売りたいとか考えてはダメ、と書いていました。見返りを求めると続かないんですよね。効果を求めずにやれば効果も成功もないので続けられる、という感じです。

発信のほうは、無料読者として入ってくる人たちです。ここは将来の知っている人を作っている場所なんですよね。どのくらいで効き始めるかというと、半年から1年です。それくらい続けると、会ったときに「いつも見ています」と言われるようになります。 

さっき発信は思い出す装置だと書きましたが、まだ知らない人に対しては別の働きをしている、ということになります。同じものが二役やっている感じですね。

知っている人は放っておくと減る

ここが厄介なところです。

既に知っている人という集団は、放っておくと減ります。転職する、部署が変わる、業界を離れる、思い出す機会も年々薄れる。それに新しいものも魅力的なものもどんどん増えるので、離れるタイミングはいくらでもあるんですよね。減ることが前提の集団です。紹介も既存の人からしか生まれないので、母集団が減ると紹介も減ります。

しかも自分が忙しくなると、会う側から先に減ります。発信は続いているので、日々の実感としては何も変わらない。母集団が薄くなっていることに気づきにくいんですよね。

一周して戻ってくる

発信の中身はどこから来ているのか?という話になります。

第1部で書いたとおり、24時間ぜんぶ集めていて、加工して、出しています。そして何が重要かの判断は実務から来ている。その実務は、依頼があって初めて生まれるものです。

つまり、最初に戻ります。

【図8:一周する図】

依頼が実務になって、実務が知見になって、知見が発信になって、発信が思い出してもらうきっかけになって、また依頼が来る。ぐるっと回っているんですよね。

どこか一箇所だけ切り出して「これが効いています」とは言えません。一周まわって初めて成立している感じかなと。

そして、同じところに戻ってきているわけでもないんですよね。一周するたびに、前より少し分かっている状態で戻ってくる。実務で試したことが知見になって、それを持って次の情報を見ると、前は素通りしていたものに引っかかるようになる。書いてみて伝わらなかったところが分かれば、次はそこを直して書ける。

平面をぐるぐる回っているというより、らせん階段みたいな感じです。一周が終わるたびに、少し上に上がっている。

【図9:一周ごとに上がっていく】

なので、速く回すよりも、止めないことのほうが効きます。

一周に時間がかかっても、回っていれば少しずつ上がっていくので。

まとめ

『起業芸術論』を読んで、見よう見まねでやってみたんですが、思ったよりうまくまとまってすっきりしました。

なんとなく意識はしていたことなんですが、言語化してみると、かなりエコなサイクルを回していたようです。

続けることが大事、という話ではなく、一周まわるというかまわさないといけないから続けられる。依頼が実務になって、実務が知見になって、発信になって、思い出してもらって、また依頼が来る。どこかが止まると回らなくなるので、回し続けるしかない。

マグロのように止まったら死んでしまう状態です(笑)。

こうしてみると、運営堂式のマーケティングはお金をあまりかけずに、急成長ではなく継続のほうを意識する人には向いていると思います。成長を目指す人はこんな悠長なことをやっていられないですもんね。

自分が小さい会社を対象に活動しているのも、こういったことをしているからなんだなと改めて気づいたのでした。