フリーランスになる前の大学~大学院・会社員時代(~2006)を振り返る -暗黒時代だけど自分の根本なのかも-

年齢も50歳を超えて、独立してからも20年近くになるので、キャリアの棚卸的に自分のこれまでを振り返ってみました。
明確な目的もなく、やりたくないことから逃げて、生活するための人生なのですが、フリーランスの人に参考になるかも???
【とりあえず理系】
高校から理系に進みまして、その理由は何だったかと聞かれると「文系が苦手だったから」でしょうか(笑)。文系のクラスはキラキラした雰囲気があり、どうにもなじめないと言いますか…。これは今も変わらず。父も理系出身で大学院にも行っていたので、無意識のうちに影響を受けていたのかもしれませんね。
当時の理系は男子だらけだったので、夏の暑い日廊下で寝ていたり、ロッカーに汗臭い柔道着がはいっているような感じでした(笑)。
物理はどちらかというと苦手でして、「なんで坂で球を転がすの?」「こんな複雑な滑車あるの?」と思ってましたから必然的に化学を勉強することになって、大学は工学部応用化学科に。当時話題になっていた環境問題に多少は興味があったものの、そこまでの強い意志があったわけではありませんでした。
大学はさぼってバイトかゲームをするかTVでスポーツを見るかビデオを見るかといった感じ。TVは2台あってPCもあったので、ゲームしながらサッカーを見てPCでチャットをするといった生活でした。この時代に本当にあらゆるスポーツを見ていました。サッカー、アメフト、ラグビー、野球、アイスホッケー、バスケットボール、相撲、プロレス、ボクシング、スキー…たくさんありすぎです。もちろんゲームもしてましたし本もたくさん読んでましたね。迷走していたのか何なのか哲学の本を読んだり。
結果的にこの時の経験がこのコンテンツにつながります。趣味のつながりは強いぞ、とだけ言っておきます。
Web業界の人とスポーツを語る – 運営堂のどうでもいいこと
おかげさまで大学の単位は全然取れていなかったので、進級のハードルがある3年の時には2週間毎日テストが4つあるという状況に…。何とか留年せずにすみましたが、2週間ほぼ寝てなかった記憶があります。
特に何の参考にもならない普通にやる気のない人でした。
【バブル崩壊のあとの大学院進学】

卒業の頃にちょうどバブルが崩壊しまして就職状況が悪化していたこともあり、「もうちょっと待てばよくなるのでは?」という甘い見通しで大学院に進学することにしました。就活はしていたものの、よく言えば自由度の高い生活を送っていたので、シンプルに働くのが嫌だったということもあります。
しかし、皆さんご存じの通りでさらに就職状況が悪化していきまして「完全に時期を見誤ったな…」というのが正直なところです。就活時に面接に行った会社が倒産しているということもありましたが。
大学院の生活自体はとても楽しかったです。最初はお経にしか見えなかった英語の論文がスラスラ読めるようになりましたし(専門用語はわかるけど新聞などは読めなかったです)、自分で調べて考えるスタイルが自然に身についたのもあります。再び結果的にこの時の経験がアクセス解析やWebマーケティングの仕事に活きてるかな?と思います。調べること、試すこと、検証すること、のサイクルですね。
【ごめんなさいとしか言えない会社員時代】
大学院修了後はゴム部品の製造メーカーに就職しました。新入社員研修で開発部門を経験しましたが、これがまったく面白くなく…。期日までに求められる結果を出さないといけない研究と、自由度の高い大学院の研究と違っていたのが主な理由です。そりゃそうでしょうってことなんですが、当時はわからなかったんですよね。
その後、総務部門を志望しまして、備品の手配とか、弁当手配とか、はみ出たうえ木を切ったりとか、社員旅行の幹事とか、会社説明会の司会とか、経理とか、とにかく社内のいろんなことをやりました。みたび結果的にこの経験のおかげで営業以外はそれなりにやれるようになりましたし、会社がどうやって動いているのかもわかったので、独立してからも困ることはあまりなかったですね。特にお金周りに関しては困る人が多いと思うので、早めに経験したほうがいいです。あとは何でもかんでも手配できるようになること。とにかく若いうちに、なんでもいいから幅広い経験をしておくといいと思います。
総務は社内システムもやっておりまして、たまたま社内のホームページ運用に関わることになります。HTMLを書いたり、画像をいじったりするのが面白かったですし、metaタグにキーワードを入れるだけで上位表示されていた時代なのでそれも楽しかったですね。ここでホームページにかかわることとなります。
というと聞こえはいいですが…、実際は口先だけで行動せずに、いろいろ文句は言うけど一人ではなんにもできないダメ社員でした。全体のことも見えていなかったので、やっていることは間違ってないかもしれないけど、役に立たんよねという感じ。雇ってもらってただけでありがたいのだけど、当時はそんなことには気づかず…。
何社か転職しても根っこは変わってないので、「合ってない」と思っていたけど、自分が適応できなかっただけですね。努力っぽいことはしてましたが、大したことはやってません。今になってみるとホントに恥ずかしいというか、申し訳ありません…としか言えません。
このころに「自分は雇われるのに向いてない」かな?と思うようになります。そもそも集団行動が苦手で、自分で考えて(勝手に)動くほうが好きでしたし。学校のように同じ時間に同じ場所に行くことも疑問でしたし、やることがそんなになくても行かないといけないという当たり前のことも苦手でした。雇われるのに向いてないのではなくて、繰り返しになりますが、ただのダメな人間だったということですね。
転々として会社員時代最後にやったのがホームページ制作の営業。ここでアクセス解析などに出会いました。
【2006年、個人事業主として「運営堂」スタート】

そして2006年、ついに個人事業主として独立することを決めました。といえば聞こえはいいですが、嫌なことから逃げていって自由そうなことを選んでみた、ぐらいなものです。独立意識があったわけでもなく、事業をやりたいと思ったこともないです。このときはまだ「Webで食べていく」という気持ちもなく、「ダメならまた働けばいいや」くらいの感覚でした。
何ができるんですか?と聞かれて「なんでしょうね?」といってたぐらいなので…うまくいかない典型です。
「運営堂」の屋号は知り合いに考えてもらったものでして、「ITっぽくない和風の名前がいい」と伝えたところ、出てきたのがこれ。当時からアクセス解析などに興味があって、サイト運営をやっていきたかったのでそのまんまですが、今ではかなり気に入っております。ロゴも知り合いのデザイナーさんにお願いして作ってもらったもの。こちらも同じような依頼だったのでおなじみのロゴが出てきました。
屋号とかロゴはしっかり考えましょう!という話もありますが、私の経験上、屋号とロゴがしっくりくるかどうかは自分の行動次第かなと思ってます。
【何でもかんでもやっておくと将来に良いことがあるかもしれないです】
- ゲームや歴史やスポーツが好きだったら知り合いが増えた
- 大学院時代に仮説検証サイクルの習慣が身についたら仕事になった
- 会社員時代にいろいろやったおかげで独立してから困ることが少なかった
こんなスキルを身につけよう!と思ったこともないですし、資格を取ろうと思ったこともありませんが、やったことがないことやる=自分の可能性が見つかるかも?ぐらいの感覚でいたのが良かったのだと思います。興味があることに全振りするのもそれに近いのかもしれません。個人的に人生なんて計算通りに行かないというか、計算通りに行ったところでなんにも面白くないと思ってますから。
もちろん、明確な目標があって、それのために努力するのも素晴らしいけど、自分には合わなかったしできなかったということです。
先に損得を考えるのではなくて、振り返ってみたときに「あの時の経験が役立った」と思うぐらいの人生が幸せです。
ということで、本当に恥ずかしくてダメな大学~会社員時代でした。次回はフリーランスとしてどんなことを考えて、何をしてきたのかです。