地方・50代・フリーランスがこの先どうするのか?-どこかで誰かが見ていてくれると思いながら-

自分の過去を振り返ってきましたが、将来のことを考えると不安しかないのです。タイトルだけ見るとなんだか大変とか、終わってそうだな…と思いますし(笑)。
地方は変わらないし、変わらないから地方
帰省したらまったく何も変わっていない子どものころの景色だった…という経験をされている人も多いと思います。変わらないならまだよくて、行くたびに廃れていく感じがしていることもあるはずです。ここに関しては個人的にどうにかしたいと考えつつも、個人の力では何ともならないこともわかっています。
変化や成長を求める人は都会に行ってしまって、のんびりというか今のまま過ごしたい人が残る。良い悪いではなくて自分に合った選択をしているということですよね。
かといって、東京とかで生活するには人が多すぎて難しいのです。慣れてしまえばいいと思いつつも、徳島に住んだりしてのんびりした生活をしていると難しいですね。
やっぱり東京は仕事をする場所なのかなと思ってます。
年齢を重ねると、なぜかリスペクト(っぽいことを)される問題

年をとると肩書きがなくても「人生の先輩」というだけで一目おかれたり、やたら敬語を使われたり、距離をとられたりします。若い人たちとの会話で向こうが妙に気をつかってくれているのが伝わってくると、「あ、これはもう対等な関係には見えてないな」と感じるんですよね。
これがちょっと辛いというか、「いやいや、そちらの方が仕事もできるしスキルもあってすごいのに何をおっしゃいますか!こっちなんて枯れたスキルで生き延びてるのに」と思うのです。「このおっさん、使えないな」と思われる方がどれだけ楽なことか…(娘には言われてますが)。
「若い人たちともフラットに接してます」と自分では思っていても、あちらから見たらそれなりの年齢の人ですし、自分が10歳以上年上の人と話すときも同じ感覚です。そもそも「話が合う」なんて思ってないからフラットになれるわけがない。年下の人に歩み寄ったところで向こうが困るのは当然です。
かといって、威張っていてもいけませんし、どのようなスタンスで振る舞うべきなのかわからんのですよね。
わからないから、いつもと変わらない感じで振る舞っている、そんな状況をいつまで続ければいいのか…。
フリーランスは出世しない
組織がないから部長とか役員にならんのです。執行役員の話とかあるのは表の道を歩いている人の話で、私のように一本裏に入った道を歩いている人間は隠れ家的なお仕事を探すのみ。
さらに、ほっておくと仕事の内容も環境もあまり変わらずに時間だけが過ぎていくという恐ろしい状況。意識して変えていかないと、時間の流れから取り残された廃屋みたいになっていきます。廃屋に価値を見出してくれる人と出会う可能性はきわめてわずか…。
新たな経験がないと変化がないので無理をしながら頑張る。この先、どこに価値を出していけばいいのか考えない日はありません。振り返り記事を棚卸的に書いていて、気づいたのはいろんなことが「できるようになって」いったこと。
Google アナリティクスが使える、記事も書ける、WordPressもいじれる、提案書も書ける、ちょっとしたコンサルっぽい相談にも乗れる。これって裏を返せば、「専門性がない」ということでもありますよね。
じゃあ、これからは何を軸にやっていくのか。「安く、速く、大量に」みたいな戦い方は最初からしていないので、「経験の言語化」ぐらいしかないのか?と思ってます…。
人生の先輩のような考え方をする

物は言いようです。
無理がきかない=戦術的ピリオダイゼーション
ピリオダイゼーションとは、トレーニングの期間をいくつかに分けて、それぞれの段階でやることを変えていくやり方です。たとえば、ある時期はしっかり体をつくることに集中して、別の時期にはスピードや技術の向上に力を入れる、といった感じです。こうすることで、ムリなく着実に競技力やパフォーマンスを高めていくことができます。段階ごとにトレーニングの量や強度を調整していくのがポイントです。これを戦術的に行う。
「死ぬ気でやる」は若い人に任せて、「まあこのへんでいいか」で止めてみる。死ぬ気でやったら死にますから。そうすると継続して頑張れます。体力が残ってますから。「その日にやらなきゃ」じゃなくて「やれる範囲で長く」で動く。計画を立てて、あらかじめちょっとずつ進めると暇そうに見えてサボってるように見えるかもしれませんが、これでも生き残るための方策です。
仕事はオリンピック競技のように一発勝負ではなくて、野球のシーズンのように長く続きます。なので、安定したパフォーマンスを発揮し続けるために、仕事や勉強の負荷を調整しながらサイクルを回していく。ガッツリ働いてドカンと休むなんてことはしません。70~80%の力を安定して発揮できることを考えます。
サッカーが好きでよかった。
競争に疲れた=残り物には福がある
他人ができることは他人に任せておいて、自分ができることだけをやっていれば、結果的にオンリーワンになるわけです。オンリーワンを目指すと先を走っていかないといけないイメージがありますが、発想としてはババ抜きです。残り物には福があるんです。
「これはこの人にお願いしたほうがいいですね」って言うと仕事を失う不安はありましたが、言えるようになったらぐっと楽になりました。苦手なことを無理してやって、他にしわ寄せがくることもありませんし、自分がやるべきことが明確になってきます。他と比べることがなくなるんですよね。他の人の立ち位置を見て自分の立ち位置を決める。常に相対的に考える。
もちろん、何かしらの特技がないといけないのでそこはこっそり磨かないといけません。堂々と磨いてしまうと真似される恐れがありますから(せこい)。
特徴がない=ユーティリティープレーヤー
いざとなればどんなポジションでもやりまっせ、という感じ。
これは地方とも関係しますがスペシャリストの仕事があるのは都会だけ。地方では尖りすぎるとやることがないです。幅広く、それなりに深いスキルが求められます。「あの人は何をやっているのかわからない」と言われるようになったら成功です。何をやっているのかわからないんだけど、何か頼むとどうにかしてくれる。このポジションが地方・50代・フリーランスは良いのではないか?と思ってます。
いや、自分にとっての良いポジションなだけかもしれませんが。
意外と良いこともあるかもしれない
自分の過去にヒントがある
過去に経験したトラブルや失敗の中に、意外と役立つ話が多いことに気づきました。クライアントと認識がずれて大揉めしたときの話とか、自分だけで抱えてパンクしかけた案件の話とか、踏み倒された話とか。思い出すと落ち込みますがそういう失敗こそが「どうすればよかったか」を伝えられる材料になります。
過去のやらかしをただの黒歴史にしてしまうのではなく、誰かの役に立つかもしれない教訓として整理していく。これは、50代以降の働き方における大きな資産だと思っています。実際に過去の経験からアドバイスできることも多くなってきました。
50代の知見を言葉にする
若い頃は感覚でやっていたことも、いまはちゃんと説明できます。「なぜこうするのか」を言葉にできるようになったのは、50代の副産物かもしれません。それをブログに書いたり、人に話したり、資料にまとめたり。知ってることを棚卸ししてみると、「これって価値あるのかも」と気づくことが増えました。
今まで書いたような振り返り記事もそうですし、個人的にノウハウを整理していくこともやっています。
50代じゃなくてAIのおかげなんでしょうが。
知らないことが新鮮になる
若い人が話していることが分からなければ、「それ、どういう意味?」って聞いたほうが早いですし、会話が続きます。知らないことは教えてもらえばいいし、自分が知ってることは言葉を選んで伝える。それでいいんだと思います。
「これってどう思う?」と聞くことで、相手の考え方が見えてくるのもいいですね。「昔はこうだった」と語るより、一緒に考えるスタンスでいたほうが話しやすい空気になる気がします。
知らないこと素直に知らないといって、相手からいろいろ聞く。年齢に関係なくこれが良いのかもしれません。
これからの武器は言語化、棚卸し、裏方力かも?
まとめると「まとめる力」「つなげる力」なんでしょうか。
- 過去の経験を記事に書いて整理する
- 人の悩みを聞いて、考えを整理する手伝いをする
- 若い人のプロジェクトに設計係や壁打ち相手として参加する
こういう働き方ができれば、まだしばらく生き延びられそうです。昔のように「自分が前に出てガンガン引っ張る」んじゃなくて、「誰かがうまく進むように、ちょっとだけ後ろから支える」みたいなポジションが、良い気がしています。
説教だけの面倒なおじさんにはなりたくないので、日々メルマガをまとめて最新情報を入手しておくことも需要ですし、人前で話して自分のやっていることが受け入れられるのかの確認もしないといけません。
そんな時に出会った本がこちら。
この本の中に「大部屋俳優の知恵」というのがありまして、とっても参考になったのです。今の私にはとっても納得のいくものでした。
其の一
どっちにしても、しょうもない役なんだから、欲はかくな。
其の二
極端に目立ってはいけないが、少しだけ目立て。
其の三
どんな仕事でもいい。いい思い出を作れ。
其の四
自分の名前を売り込もうとしない。相手から名前を聞かれるようになれ。
其の五
知ったかぶりをしないこと。そうすると、必ず親切な人が現れる。どこかで誰かが見ていてくれる 日本一の斬られ役・福本清三から引用。
座右の銘にしたいぐらいです。
いつまで働くのか?
還暦が見えてきて、「いつまで働く?」みたいな話も増えてきました。私にはまだピンときていません。お金の問題もありますが、「働いていない自分」へのイメージが湧かないんです。
だからこそ、「ずっと働ける形」をいまから作っておくことが必要なのかなと。体力に頼らず、スピード勝負もしない、でもちゃんと役に立てるような仕事の仕方。それを今のうちに見つけて、慣れておくことが自分なりの老後対策なのかもしれません。
「次の10年をどう過ごすか」と言われても、さっぱりわかりません。また振り返ってみて「何とかやっていけた」と思えたら、それで充分でしょうか。
味のある日常をつくっていこうかと
地方にいて、50代で、フリーランス。「大変そうですね」と言われることもあります、昔に比べたら、できなくなったことも多いです。若いころのようなピカピカの未来は、もう見えていませんし、最初から見てないかもしれませんが、ちょっと味のある日常なら自分で工夫して作っていけそうな感じはあります。
「なんとかなる」と思える根拠はなくても「なんとかしてきた」という実感はあります。それだけを頼りに肩の力を抜きつつ、でも足だけは止めないようにしてみようかな?というのがここ最近。
これを読んで、「自分も似たような感じだな」と思った人がいるかもしれません。それなら一緒に、「まあ、なんとかなるよね」って笑っていきましょう!
ということで、これまでを振り返って、これからについて考えてみました。
こういった記事を書くことはもうないと思いますので、FF10のサントラを聞きながら「最後かもしれないだろ? だから、全部話しておきたいんだ(注)」という気持ちとともに(笑)。
(注) 元ネタ
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